担当教員紹介  

 
 


専任
*三浦 要 教授   
*佐々木 拓 准教授

準専任
*山本英輔 教授(学校教育学類)


*砂原陽一 名誉教授
*細見博志 名誉教授

*柴田正良 教授(平成26年度より教育担当理事)
(柴田研究室HPはこちら→ http://siva.w3.kanazawa-u.ac.jp/)
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三浦 要 (MIURA Kaname)

研究領域
 
私の研究領域は古代ギリシア哲学ですが、その中でも特にソクラテス以前の初期ギリシア哲学を研究しています。一般に紀元前6世紀のタレスが創始者とされる西洋哲学は、すでに2500年以上の歴史を持っています。そして、この哲学という知的営みの誕生はしばしば「神話から理性へ」という図式で捉えられ、それは、神話的思考形式からの離脱を宣言するものと解されています。つまり、最初に万有についての合理的で普遍的な知を求めたのがタレスを始めとするソクラテス以前の哲学者たちということになるわけです。そうした最初期の彼らの哲学の内実を取り押さえ、ソクラテス以後の哲学(プラトン、アリストテレス、さらにはその後のストア派など)との影響関係を明確にし、その思索の歴史的な意義を考察することが、私の研究目標です。
 ところで、そんな古い時代の人々の哲学を研究してどんな意味があるのかと思われるかもしれません。古代ギリシアの哲学者たちはさまざまな問題に取り組みました。存在とは何か、知識の源泉とは何か、「善き生」とはどのような生なのか、幸福とは何か、そもそも宇宙や世界とは私たちにとってどのようなものなのか──彼らが取り組んだこうした問題は、長い歴史をへていまだに決定的な解答を与えられてはいません。つねに問われ続けてきたそれらは、そのまま今の私たちにとっても切実な問いとして開かれています。その意味で、哲学史の原点に立ち返って、彼らがどのような問題を立て、どのように論理を尽くして考え抜き、どのような答えを導き出したのかということを正確に把握することは、単に現代から古代を解釈することにとどまるものではなく、古代を通じて現代を理解することでもあると言えるのです。
 とはいえ、プラトンやアリストテレスと違って、ソクラテス以前の哲学者たちが著した書物は、すでに早い段階で散逸してしまい、完全な形で残っているものは皆無です。つまり彼らの哲学は、後代の著作家たちによる断片的引用や間接証言によってしか、うかがい知ることができない状況なのです。したがって、わずかしか残されていない著作断片を元に彼らの思索を整合的に再構成して、その実質を見極めていく作業は、始めからピースの足りない(時には無関係なピースが紛れ込んだ)ジグソーパズルの組み立てにも似て、困難なものとなります。一歩間違うと描き出される全体像は歪んだものにしかなりません。しかし、そうした困難がともなうからこそ、ソクラテス以前の哲学の研究がいっそう魅力的で刺激に富むものとなっているのも事実なのです。

最近の主な研究業績
 
論文等’97以降)
 ・
Note sur la «δύναμις» comme <«ὅρος» des êtres en le Sophiste 246A-248A
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第10号、pp.57-67、2019年

 
・「(書評)Anaximander:A Re-Assessment (A.Gregory),
                 
Apeiron:Anaximander on Generation and Destruction (R.Kocandrle & D.L.Couprie)」
    『西洋古典学研究』(日本西洋古典学会編、岩波書店) 第66号、pp.122-126、2018年
 ・「(研究ノート)「対称性に訴える論証」と死の無害性について」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第9号、pp.41-52、2018年
 ・「無神論と有神論のはざまで」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第8号、pp.63-79、2017年
 ・『哲学中辞典』(項目執筆「アナクサゴラス」他21項目)、知泉書館、2016年
 ・ “Sur l’identification des «Amis des Formes» en 245E-249C du Sophiste de Platon”
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第7号、pp.65-76、2016年

 ・
“Quelques notes sur les critiques du pluralisme et du monisme dans le Sophiste de Platon”
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第6号、pp.69-84、2015年

 
・「死の害悪に関する一考察」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第5号、pp.63-73、2014年

 ・
「(書評) Parmenides and Presocratic Philosophy (J.Palmer)」
             『西洋古典学研究』(日本西洋古典学会編、岩波書店) 第61号、pp.160-162、2013年
 
 
・「「自律的自己」の起源について」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第4号、pp.57-76、2013年

 
・「「有る」とはどういうことか?」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第3号、pp.77-101、2012年
 ・『パルメニデスにおける真理の探究』、京都大学学術出版会、総頁数295、2011年
 ・「死は本当にわれわれにとって何ものでもないのか? ──エピクロスに見る死の分析──」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)第2号、pp.43-64 、2011年
 ・「エピクロスにおける感覚と快楽」
    『哲学・人間学論叢』(金沢大学哲学・人間学研究会編)創刊号、pp.39-58、2010年
 
「デモクリトスの倫理学説について」『金沢大学人間科学系紀要』第1号、pp.37-56、2009年
 
「エレア学派と多元論者たち」
    『哲学の歴史』古代1「哲学誕生」(内山勝利編、中央公論新社)pp.135-244、2008年
 
「人はどこまで真実に迫れるのか──ソクラテス以前に見る認識論の史的展開──」
    『西洋哲学史再構築試論』(渡邊二郎監修、哲学史研究会編、昭和堂)pp.439-480、2007年
 
「「思わく」の虚構と真実──パルメニデスにおけるコスモロジーの可能性について」
    『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(内山勝利・中畑正志編、世界思想社)
    pp.452-480、2005年
 
「真理のこころと探究の道──パルメニデスにおける哲学的探究をめぐって」
    (学位論文)、総頁数159、2005年
 
「(文献解題)『ソクラテス以前の人々の断片集』ディールス+クランツ編」
    『現代思想』(青土社)vol.32-11、pp.12-15、2004年
 
「パルメニデスは一元論者か?」
    『古代哲学研究(Methodos)』(古代哲学会編)第35号、pp.1-17、2003年
 
「(書評)井上忠『パルメニデス』、鈴木照雄『パルメニデス研究』」
    『西洋古典学研究』(日本西洋古典学会編、岩波書店)第50号、pp.123-126、2002年 
 
「パルメニデスにおける生成と時間」『カルキディウスとその時代』
    (西洋古代末期思想研究会編、慶應義塾大学言語文化研究所)、pp.3-30、2001年
 
「言葉を解せぬ魂」『西洋哲学史の再構築に向けて』
    (渡邊二郎監修、哲学史研究会編、昭和堂)、pp.10-28、2000年
 
「ヘラクレイトスにおける「希望」と「探究」」
    『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』31、pp.95-113、1999年
 
「すべてを聞いて学ぶがよい──パルメニデスにおける真理の「啓示」と「探究」」
    『現代思想』(青土社)vol.27-8、pp.180-189、1999年
 
「ギリシア人は環境をどう見ていたか」『アルケー・関西哲学会年報』
    (関西哲学会編、京都大学学術出版会)第7号、pp.123-133、1999年
 
「禁じられた道──パルメニデスにおける探究の行方」
    『哲學研究』(京都哲學會編、創文社)第567号、pp.59-93、1999年
 
「ヘラクレイトスにおける対立者の一致」『社会情報論叢』
    (十文字学園女子大学社会情報学部紀要)第3号、pp.1-16、1999年
 
「初期ギリシア哲学における「愛」の概念について」『社会情報論叢』
    (十文字学園女子大学社会情報学部紀要)第1号、pp.97-119、1998年
 ・ “ ‘Logos’ in Parmenides B7”, 
Forty Years of the Journal of Classical Studies,
                 The Classical Society of Japan (ed.), pp.323-325, Iwanami Shoten, Publishers, 1998
 
「(書評)Philolaus of Croton: Pythagorean and Presocratic (C.A.Huffman)」
    『西洋古典学研究』(日本西洋古典学会編、岩波書店)第45号、pp.141-144、1997年

 
 
翻訳
 
『モラリア』12(プルタルコス著、共訳)、京都大学学術出版会、2018年
 ・アリストテレス『気象論』(新版アリストテレス全集第6巻)、岩波書店、2015年
 ・『プラトンの哲学──神話とロゴスの饗宴』(J.-F. Mattéi著)白水社(文庫クセジュ)、2012年
 
『ソクラテス以前の哲学者たち [第2版]』(G.S.Kirk他著、共訳)、京都大学学術出版会、2006年
 
『モラリア』11(プルタルコス著)、京都大学学術出版会、2004年
 
『ソクラテス以前哲学者断片集』第IV分冊(共訳)、内山勝利編、岩波書店、1999年
 
『ソクラテス以前哲学者断片集』第II分冊(共訳)、内山勝利編、岩波書店、1998年
 
『ソクラテス以前哲学者断片集』第I分冊(共訳)、内山勝利編、岩波書店、1997年
 ・『現代フランス哲学12講』(J.Derrida他著、共訳)、青土社、1986年
 ・『エゴ・スム』(J.-L.Nancy著、共訳)、朝日出版社、1986年
 
 
略歴
 
1977年 山口県立山口高等学校を卒業
 1982年 金沢大学法文学部哲学科を卒業
 1982-83年 文部省[
当時]海外学生交流派遣制度によりフランスの
     Université de Nancy II (第2期課程・修士[哲学])に留学し修了
 1987年 京都大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程を修了
 1990年 同研究科哲学専攻博士後期課程を満期退学
 1990-1992年 日本学術振興会特別研究員
 1993年 十文字学園女子短期大学助教授
 1996年 十文字学園女子大学社会情報学部助教授
 2001年 金沢大学文学部助教授
 2005年 京都大学・博士(文学)
 2009年 金沢大学人間社会学域人文学類教授,現在に至る
 

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佐々木 拓  (SASAKI Taku)

研究領域:西洋倫理学(17-8世紀道徳哲学・現代自由意志論)

私の研究領域は西洋倫理学ですが、その分野は広く、古典文献研究、応用倫理学、そしてメタ倫理学に及びます。古典研究としては、17-8世紀に活躍した道徳哲学者であり政治思想家でもあったジョン・ロックの道徳哲学を扱っています(ちなみに、彼は医者でもありました)。応用倫理学としては、依存症の倫理学ということで、例えば重度の薬物依存症の患者さんが違法薬物を使用することに対して本当の意味で非難ができるのか、ということを研究しています。最後に、メタ倫理学の分野では、道徳の相対性や、私たちが「自由意志」や「自己決定」ということで何を意味しているのか、といった問題を考察しています。それぞれの分野で扱う対象はかなり異なりますが、そこには共通したテーマがあります。それは「自由意志」です。

私たちには「自分の行動は自分がコントロールしている」という感覚があるのが一般的でしょう。何が起こるのかをよく考え、衝動にとらわれずに選んだ行為の場合、この感覚は非常に強いものになると思います。このような場合、「それは私がしたことだ」と確信できると思います。まさに私たちが自由意志を発揮し、自己決定をした事例です。しかしながら、最近の脳神経科学の知見をみると、このようなコントロールが実際には私たちにはないということを示唆するものが多くみられます。私たちの行動は意識的な決定よりも、無意識的な(特に脳内の)過程によって決定されているというものです。特に依存症のような事例では、症状が重くなると、一見したところ普通の人とほとんど変わらないように仕事ができている人が、実は薬物やアルコールといった依存性物質の摂取に関してはほとんどコントロールができていないということが、脳神経科学の知見からも示されるようになりました。普通の人に見られる行動が実は当人の自由意志の結果ではないと分かったとき、私たちはその人たちの責任をどう考えたらいいのでしょう。このような場合には、私たちは「自由意志」や「自己決定」、「コントロール」といった概念を考え直さなければなりません。そして、その内容に従った基準(条件)によって、例えば薬物依存症患者の行動などを再評価する必要があるでしょう。科学技術が急激に進歩する現代では、その必要性はますます高まっていくでしょう。このような関心の下で、依存症患者さんの行動についての責任評価が可能になるような自由意志概念を探究するというのが目下の私の研究目標です。

哲学・倫理学的な概念を再検討するためには、そもそもそれがどのような内容として捉えられていたかを知る必要があります。ジョン・ロックは中世の自由意志概念を批判し、近代のはじめに自然科学の影響で流行した「決定論」という考えとの整合を試みた思想家です。自由意志をめぐる哲学的問題には中世以来つづく長い伝統があります。このような過去の議論を学ぶことで、自らが問うている対象を明らかにし、時には新しい(現代の私たちにはない)考え方を学ぶのも自由意志を議論する上で重要なアプローチです。

哲学や倫理学の面白いところは、概念を学ぶところにあります。例えば、自由意志について新しい概念を発見した人には、周りの人々の行動がだいぶ変わって見えるはずです(これについては、「自由意志など存在しない」と気づいた人も同様です)。哲学・倫理学的に重要な概念は、いわば世界を眺める眼鏡のようなものです。哲学・倫理学の問いに真摯に向き合う人は世界を今までと違った仕方で見直すチャンスを手にします。歴史的な文献を読むことで、また現代の自然科学が明らかにする知見と対比させて考えることで、このような概念を検討し、私たち人間の在り様、ひいては人生の意味を考えるというのが私の研究です。


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